| 壮大なスケールの創作活動によってもたらされた、名声と地位。そして葛藤の日々。 |
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古屋博敏というスーパースターを語るには、一言では片付けられない様々な分析を必要とされる。
若くして種々の才能を開花させ、スターダムの地位へと一気に上り詰め、マスメディアからは『日本を代表するチューナー』『歌手、タレントとして著名』な人物と書き立てられ、人々からの期待を背に、名実共に『世界の古屋博敏』を演じなければならない彼が存在してきた。
様々な憶測が飛び交う中、表面的には決して困惑した古屋は見受けられず、相変わらず自由奔放なアーティストとしての彼がクローズアップされ、古屋の本音が語られることは余り無かった。しかし、古屋自身が自らを『職人肌』と称する通り、そのストイックなまでに物事へ拘る姿勢は、時として周囲からの猛反発や理解を得るのに相当な苦労が存在したようである。
私自身(筆者:いとうさぶろー)、今回のインタビュー記事を公式サイトのプロフィール覧に採用するとのことで話をもらい、彼のことをそれなりに知っていたつもりではあったが、やはり『人間・古屋博敏』を理解するには、相当難解であると感じさせられた。現在彼の口から語られる、アーティストとして自身の中で消化し切れていない多くの葛藤は、若くして獲得してきた名声とは裏腹に、簡単ではない古屋の立場を考えさせられる。
古屋の創作活動の場が広範囲であることは、周知の通りである。2000本以上の大規模な興行をこなしてきた、著名チューナー(ピアノ調律師)としての確固たる地位。その地位は余りに強固であり、音楽家のみではなく、世界のVIP達がこぞって古屋に直接指名を入れるほどの知名度である。『日本へ行くときは、必ず古屋をスタンバイさせるように』、こうした直接的な指名が世界各国の要人達から寄せられる。また、フリーの歌手として様々なセッションに参加する音楽活動、国内外のアーティストたちを様々な形でサポートし、映像ピアノプロデューサーとして、シングルチャート1位を獲得する作品への関与、スーパーブランドメーカーでのファッションモデル、そして俳優など、創作意欲を前面に押し出す古屋の活動スタイルは、時としてファンや人々を困惑させてしまうほどの範囲に渡ってきた。しかし、古屋自身は全てにおいてのスペシャリストであることを大前提とし、『多方面に渡る活躍と捉えられること』を極端に嫌っている。表面的には多面体に見える活動も、実際にはあちらこちらに気が散るわけではなく、必ず何かしらの形を残し、全てが彼の中で統括されているという。彼は率直にこう語った。
『僕をマルチタレントのように扱う人も、また話す人、話題として書く人もいらっしゃるでしょう。でも、僕自身は決してマルチな人間ではなくスペシャリストであると思っています。ですから、言葉を変えればゼネラリストになるほどの能力の持ち主ではなく、ある一定のことに集中することが出来る程度の人間です。僕の創作活動は、セパレート(縦割り)のように見えるかもしれませんが、実は全てが自分の中で繋がっていて統括されています。例えば”音色”という言葉がありますが、言葉に脚注を加えれば、”音”の”色”ですから、音色を司るチューナーは、色彩感覚を本来必要とされるはずです。ですからセンスと才能が最も重要である仕事のはずです。でも一般的にそのような見解は無く、ある一定の訓練が最も重要とされています。基礎は勿論必要ですが、音色を追求し続けるにはセンスの良い色彩感覚の持ち主であることが重要であるはずです。そういう意味で言えば、ファッションモデルはピアノの仕事に一役買っていますし、ピアノプロデューサーは”絵”としてピアノを理解しますから、そこにも構成力や色彩感覚が必要とされます。このように、僕の中で全てがそれぞれの感性を刺激し合って統括されているんです。』
この発言を見ての通り、古屋の視点は余りにアーティスティックであり、理解も簡単ではない。『言われてみれば、そうかもしれない。』と思わされる哲学が多く、稀に見る天才ならではの一面を垣間見ることができる。
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上海メディアグループによる収録直前ユンディ・リと共に
ピアニストと調律師以上の友情関係が2人には存在した |
古屋の音楽・芸能界での活動は、長期に渡っている。幼少よりモデルを経験し、10代後半にはダイアナ・ロスやクリストファー・クロスなどの大物外国人タレントを招聘する音楽事務所で、ツアーにおけるアシスタント・ディレクターを経験し、その後、ピアノ調律師を志した。
『バンド活動は中学生が始まりで、本気でプロ入りを考えていました。しかし、海外とのレベルの差に愕然として、とにかく外タレに近づきたかったんです。そして現在の日本のエンターテイメントにおいて、海外のアーティストたちと対等に仕事が出来るのは、ピアノ調律師が最も近道だと思ったんです。だから最初から興行に携わるコンサートチューナーしか頭にありませんでした。その当時志した自分の姿は、正に今の僕であると思っています。技術を身に付ける間は、芸能活動や音楽活動は一切封印していました。それだけ一生懸命であったと言うことですね。』
現在コンサートチューナーとしての才能が開花した古屋。一気に世界的なスターダムへと上り詰め頭角を現した。芸術性溢れる音創りは、数々の国際的大舞台で輝きを放ち続け、2000年度のショパンコンクール覇者であり、今や中国の国民的大スターであるユンディ・リをはじめ、世界の2大オーケストラ、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団首席コンサートマスター/ウェルナー・ヒンク。カラヤンを支えたベルリンフィルハーモニー管弦楽団首席コンサートマスター/レオン・シュピーラーなどの来日時において、現代の大演奏家たちのパートナーを務め上げている。また、ゲルハルト・オピッツ、シプリアン・カツァリス、ジャン・マルク・ルイサダ、ウラディーミル・アシュケナージ、ラルス・フォークト、フィリップ・カサールなど、クラシック音楽界におけるビッグネームの他、エリック・クラプトンをはじめとする、外国人タレントのジャパンツアーにおけるバンドクルーのメンバーとして、世界のスーパーメジャーと音楽を共に考え、その類まれな才能は世界規模のアーティストたちの手によって磨き上げられると共に、あらゆるジャンルの音楽家やミュージシャン達と活発に交流がなされてきた。
また、国家間で執り行われる国際放送、天皇陛下拝謁行事内での演奏会、内閣総理大臣を招待しての演奏会など、最重要視される祭典での重責を担い、今日それらの功績が称えられている。 |
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カラヤンのベルリンフィルハーモニー管弦楽団を支えた
巨匠の血統を受け継ぐレオン・シュピーラー |
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国内アーティストにおいては、小澤征爾氏が音楽監督を務める『東京のオペラの森』にて、チーフコンサートチューナーに着任し、東京国際フォーラムで行われる『ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン”熱狂の日”音楽祭』においても、同じくサポートメンバーとして名を連ね、東京で行われる大音楽祭における活躍も著しい。
それらあらゆる大きな興行や行事おいて、日本を代表するアーティストたちとの交友関係は相当に深く、個人的に付き合いのあるアーティストたちも多岐に渡っている。
また、上場企業から海外メディアに至るまで、その実績は書き切る事の出来ないほどの量をこなしており、具体的には『上海メディアグループによる2010上海万博ドキュメンタリー番組内』においては、日本で最も信頼の置けるチューナーとして抜擢されるほか、世界一の規模を誇るスーパーブランドメーカー/ルイ・ヴィトングループ(フランス本国・国内拠点双方からの依頼)、国際交流基金、ソニーレコード、ビクターレコード、キングレコード、フォンテック、梶本音楽事務所、NHK、日本テレビ、読売テレビ、テレビ東京、エキスプレス、電通グループ各社、アサツーディ・ケイ、フジサンケイグループ、東映、文化庁、東京都庁、東京大学など、国際社会を代表する企業や官公庁からの依頼をこなしている。
これらコンサートチューナーとしての仕事を軸とした様々な人間関係構築の中で、業界関係者との親睦が深まり、元来幼少から表舞台を経験し、持ち前のルックスも相俟って再び表舞台への期待が業界内で再燃する。その時期を古屋はこう語る。
『急に取材や出演依頼が出始めて、一体何なのか良く分からないと言うのが正直な感想でした。僕は興行で走り回っていましたしが、とにかく次々に舞い込んで来る話に当初は相当に慎重になっていて、何から手を付けて、何が自らの仕事と出来るのかを選別していました。芸能関係者に友人が多かった為、どう動いて行くかについては相談に相談を重ねました。目の前の名声などに惑わされてしまうと、足元がおぼつかなくなって行きますから、先ずは地固めをしたかったんです。』
音楽教育は、幼少の頃に徹底された時期もあったが、クラシックよりもポップスやロックに興味を抱いていた少年時代だった。しかし、少年時代に海外との落差を感じ、青年期は海外アーティストをはじめとしてサポート側に回って仕事をこなしていた。しかし、業界内での動きが活発化するにつれ、様々な業界関係者の目に留まり、結果現在の『古屋博敏という特異なタレント』が生まれる形となった。 |